— 平和の象徴 鶴の折り紙に永遠の願いを込めて —

 

当社では、日本の伝統技術である「折り紙」と「陶器」を融合させた、「陶器の折り紙」技術を生かした、新しい商品開発に取り組んでいます。

詳細は、準備が整い次第、発表させていただきます。




折り鶴を平和の象徴にしたひとりの少女

 

広島の『平和記念公園』では、様々な場所で色鮮やかな折り鶴が見られます。折り鶴は“平和のシンボル”と考えられていて、たくさんの国で平和を願って折られています。このように、折り鶴が平和と結びつけて考えられるようになったのは、佐々木禎子(さだこ)さんという方の存在が大きく関わっています。

 

1943年(昭和18年)1月、広島県広島市で生まれた佐々木禎子さんは、2歳の時に被爆しました。それでも体調に変化はなく、元気に成長していきました。ところが小学6年生の秋、突然、体調が悪くなり、1955年(昭和30年)2月に、『白血病』と診断されました。

 

禎子さんが入院して5ヶ月ほど経った頃、同じ病院に入院していた5歳の女の子が、白血病で亡くなりました。それをキッカケに12歳にして、死の恐怖と戦うことになった禎子さんですが、ある時、入院患者の皆さんのお見舞いに千羽鶴が送られて来ました。その後『鶴を千羽折ったら願いごとが叶う』という言い伝えを聞いた禎子さんは“元気になりたい!”という願いを込めて、一生懸命、鶴を折り続けました。

 

しかし8ヶ月にわたる病気との戦いの末、1955年(昭和30年)10月25日に亡くなりました。わずか12歳の生涯でした。禎子さんの死をキッカケに、原爆で亡くなった子ども達の霊を慰めて、平和のための像を造ろう!という運動が始まりました。そして全国からの募金によって、平和記念公園に『原爆の子の像』が完成しました。

 

その後、このお話は世界に広がって、今も『原爆の子の像』には日本だけでなく、世界各国から折り鶴が捧げられていて、その数は年間、およそ1千万羽にもなるそうです。

 

ニッポン放送 「折り鶴を平和の象徴にしたひとりの少女」より